沈黙は金なり

アラフィフサラリーマンの日々徒然日記です。

 
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2009年 野球殿堂

若松 勉
生涯打率.319の「小さな大打者」

■ 顕彰文
ドラフト3位で’71年ヤクルトに入団。小柄ながら抜群のバッティングセンス を持ち、初年度は規定打席未満ながら打率.303をマーク。翌年には打率.329で首位打者を獲得した。以来3割以上を12回獲得し、チームが悲願の日本 一を遂げた’78年には打率.341、17本塁打、71打点を挙げ見事にMVP に選ばれた。通算打率.319は4000打数以上ではセ・リーグトップの記録と なっている。








青田 昇
「じゃじゃ馬」と呼ばれたホームランバッター

■ 顕彰文
42年滝川中から巨人に入団。42試合の出場ながら打率.355の好成績で 中心選手となり、翌’43年には42打点を挙げ打点王に輝いた。戦後は阪急に2年間在籍したが、’48年に巨人に復帰し、大映の小鶴 誠、南海の山本一人 と最終戦まで首位打者を争い7毛差の打率.306でタイトルを獲得。また、25本塁打でチームメイトの川上哲治と本塁打王を分け合った。’51年にも本塁 打王、打点王の二冠を取り、巨人の二リーグ制後初の日本一に貢献した。









大社 義規
野球とチームを愛した日本ハム初代オーナー

■ 顕彰文
42年に徳島市で食肉加工業を始め、その後日本ハムと商号を変更した。野球 界への参入を考え、旧制高松中学の先輩である三原 脩氏の協力を得て、’73年日拓ホームフライヤーズを買収し、日本ハムファイターズとしてプロ野球に 参戦、初代オーナーに就任した。チームをこよなく愛し、少年ファンクラブの 充実、沖縄キャンプの開拓、育成総合施設「鎌ヶ谷ファイターズタウン」建設 など積極的な球団経営を展開し、パ・リーグの人気振興にも貢献した。










君島 一郎
日本野球発祥の研究をし、「日本野球創世記」を著す

■ 顕彰文
第一高等学校在学中、野球部で二塁手を務め攻守に活躍した。明治時代の野球 草創期の故事解明に情熱を持って取り組み、’71年に学士会会報で、野球発祥 については諸説ある中で「ベースボールが日本に渡来したのは明治5年。発祥 の地という場所は現学士会館本館敷地である」との見解を明らかにした。’72年には「日本野球創世記」著し、野球渡来の経緯を皮切りに、わが国の野球の 生い立ちを理論的、また緻密で分かり易く紹介した。

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