沈黙は金なり

アラフィフサラリーマンの日々徒然日記です。

 
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2005年 野球殿堂

村田 兆治
豪快な“マサカリ投法”で大活躍

■ 顕彰文
昭和43年ドラフト1位で東京オリオンズに入団し、翌年の対南海戦に初先発して完封勝利をかざる。昭和46年フォームを改造。“マサカリ投法”で剛速球とフォークボールを駆使し活躍する。昭和57年に肘を故障し、翌年渡米して手術を受ける。懸命のリハビリの後、約2年半ぶりに公式戦に復帰する。翌昭和60年には開幕から11連勝し、この年17勝5敗を記録した。平成元年のオールスタ―ゲーム第1戦に先発登板し、史上最年長勝利をあげて最優秀選手賞を獲得するなど、復帰後も2ケタ勝利を3度記録する活躍をした。





森 祇晶
日本一3連覇を2度達成した名監督

■ 顕彰文
岐阜高校では2年生から4番を打ち、3年生の昭和29年には夏の甲子園大会に出場。翌年巨人軍に入団し、昭和34年からレギュラーとなり、36年から8年連続ベストナインに選ばれる。昭和42年には日本シリーズでMVPを受賞するなど、巨人V9を支えた名捕手。現役引退後ヤクルト、西武のコーチを経て、昭和61年西武監督に就任し、9年間でリーグ優勝8回、日本シリーズ3連覇を2度達成するなど、監督としての手腕を大いに発揮した。西武監督時代の昭和61年と平成2年に正力賞を受賞。





志村 正順
野球人気に貢献した名アナウンサー

■ 顕彰文
プロ野球草創期から活躍した名アナウンサー。沢村栄治投手のプロ野球公式戦の活躍を「沢村、左足を靴底のスパイクがはっきり見えるほど、高々と上げました。」と細かく描写し、ラジオで初めて放送した。昭和22年から月刊誌『野球少年』でゲームの推移を実況放送風に文章にした「誌上放送」を執筆し、全国の少年達に野球の楽しさを伝えた。昭和30年からは小西得郎を解説者に迎え、アナウンサーと解説者が組むことで、実況と情景描写に「会話」を加え、聴くだけの放送から参加感のある、新しい野球放送のスタイルを確立した。
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