沈黙は金なり

アラフィフサラリーマンの日々徒然日記です。

 
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2001年 野球殿堂

根本 陸夫
監督、フロントなどで手腕を発揮した球界仕事人

■ 顕彰文
法政大学からノンプロを経て昭和27年近鉄に捕手として入団。実働年数は4年と短かったが昭和37年から近鉄、広島でコーチ、昭和43年から広島、クラウンライター、西武、ダイエーの4球団で監督を務めた。その手腕は、現場の指揮官からフロント入りしてさらに発揮された。西武、ダイエーでチームづくりの責任者として、幅広い人脈や行動力を駆使して基礎を築き、のちに訪れる黄金時代に導いた。









小山 正明
抜群の制球力で歴代3位の320勝

■ 顕彰文
昭和28年兵庫県高砂高校卒業後、阪神にテスト入団。右腕からの快速球と針の穴を通すと言われた抜群の制球力を武器に、阪神のエースとして活躍。東京オリオンズに移籍した翌年の昭和39年に、30勝し最多勝を獲得した。実働21年で歴代3位の320勝をはじめ、3159奪三振、防御率2.45を記録した。現役引退後は阪神、西武、ダイエーなど9年にわたりコーチを務め、後進の育成に貢献した。








武田 孟
日米大学野球を創設した明大総長

■ 顕彰文
昭和27年、明治大学教授のとき野球部長に就任、島岡吉郎監督と協力し一時代を築いた。昭和33年から39年まで全日本大学野球連盟会長。昭和39年明大総長就任と同時に第4代日本学生野球協会会長となり、学生野球の普及発展に尽力した。また、早くから野球の国際化に理解を示し、昭和47年には長年の懸案であった日米大学野球選手権大会を実現させた。学生時代、母校の校歌「白雲なびく・・・おお明治」の誕生にも奔走した。








長谷川 良平
球団創設からマウンドを守った広島の小柄な大エース

■ 顕彰文
ノンプロから昭和25年、広島カープ創立とともに入団。1年目に早くも15勝をし、以後8年連続2ケタ勝利をあげる。昭和30年には30勝し、最多勝を獲得。身長167cmの小柄ながら切れ味鋭いシュートを駆使して、「小さな大投手」と呼ばれ、エースとして長年にわたりチームを支えた。実働14年で197勝、1564奪三振、防御率2.65を記録した。昭和40年途中から3年間、広島の監督を務めた。





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