- Date: Mon 10 03 2014
- Category: 野球を語る > 野球殿堂入り 年度別まとめ
- Community: テーマ "プロ野球" ジャンル "スポーツ"
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1999年 野球殿堂
中西 太
豪打のスラッガーから情熱的な指導者へ
■ 顕彰文
高松第一高校から昭和27年西鉄ライオンズに入団。“怪童”と呼ばれた西鉄黄金期の大打者で無類の飛距離を誇るホームランと好守備で人気を博した。新人王、本塁打王5、首位打者2、打点王3、最多安打2、MVP1、ベストナイン7を獲得。通算1388試合4116打数、1262安打、785打点、244本塁打、打率.307、弱冠29才で西鉄監督を兼任し38年にリーグ優勝後7球団を指導した。

広瀬 叔功
抜群の身体能力で活躍した快足の外野手
■ 顕彰文
南海ホークスの盗塁王。4年連続盗塁王となった昭和39年には連続31盗塁の新記録、リーグ新の27試合連続安打、110得点、首位打者.366と大活躍した。通算盗塁記録は当時最多の596で常に勝利につながる盗塁に徹し、かつ高い成功率を誇った。2190試合、打数7637、安打2157、二塁打394、三塁打88、打率.282、最多安打1回、盗塁王5年連続、ベストナイン3回、南海監督歴3年。

古葉 竹識
広島に黄金時代を築いた知性派監督
■ 顕彰文
カープの黄金時代を築いた名監督。日鉄二瀬から昭和33年に広島カープに入団。45年南海に移籍、盗塁王2回、ベストナイン1回獲得。コーチを経て50年にカープの監督に就任したが早くもこの年球団創立後、初のリーグ優勝を果たした。カープ在任11年でリーグ優勝4回、日本シリーズ制覇3度。62年からは3年間横浜大洋監督を務め監督通算873勝利を記録した。

近藤 貞雄
投手分業制を導入して中日の優勝に貢献
■ 顕彰文
西鉄(解散)、巨人、中日の投手。23勝した昭和21年事故で右手中指を負傷したが不自由を克服してパームボールを会得した。現役引退後、長年コーチを務めた後、監督として中日、横浜大洋、日本ハムで指揮を執った。40年代初めには今日すでに一般化した投手の分業制をいち早く導入し57年には中日をリーグ優勝に導いた。

吉國 一郎
コミッショナーを歴代最多の3期9年努めた
■ 顕彰文
第9代プロ野球コミッショナー。平成元年から歴代最多の3期9年在任し数々の功績を残したが、中でもアマチュア球界との交流復活に尽力した功績は大きく、野球の底辺拡大や国際化をめざしプロアマ合同の全日本野球会議として発足させた。またFA制度を導入し、日米日韓交流を深めるなど球界発展に貢献した。

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豪打のスラッガーから情熱的な指導者へ
■ 顕彰文
高松第一高校から昭和27年西鉄ライオンズに入団。“怪童”と呼ばれた西鉄黄金期の大打者で無類の飛距離を誇るホームランと好守備で人気を博した。新人王、本塁打王5、首位打者2、打点王3、最多安打2、MVP1、ベストナイン7を獲得。通算1388試合4116打数、1262安打、785打点、244本塁打、打率.307、弱冠29才で西鉄監督を兼任し38年にリーグ優勝後7球団を指導した。

広瀬 叔功
抜群の身体能力で活躍した快足の外野手
■ 顕彰文
南海ホークスの盗塁王。4年連続盗塁王となった昭和39年には連続31盗塁の新記録、リーグ新の27試合連続安打、110得点、首位打者.366と大活躍した。通算盗塁記録は当時最多の596で常に勝利につながる盗塁に徹し、かつ高い成功率を誇った。2190試合、打数7637、安打2157、二塁打394、三塁打88、打率.282、最多安打1回、盗塁王5年連続、ベストナイン3回、南海監督歴3年。

古葉 竹識
広島に黄金時代を築いた知性派監督
■ 顕彰文
カープの黄金時代を築いた名監督。日鉄二瀬から昭和33年に広島カープに入団。45年南海に移籍、盗塁王2回、ベストナイン1回獲得。コーチを経て50年にカープの監督に就任したが早くもこの年球団創立後、初のリーグ優勝を果たした。カープ在任11年でリーグ優勝4回、日本シリーズ制覇3度。62年からは3年間横浜大洋監督を務め監督通算873勝利を記録した。

近藤 貞雄
投手分業制を導入して中日の優勝に貢献
■ 顕彰文
西鉄(解散)、巨人、中日の投手。23勝した昭和21年事故で右手中指を負傷したが不自由を克服してパームボールを会得した。現役引退後、長年コーチを務めた後、監督として中日、横浜大洋、日本ハムで指揮を執った。40年代初めには今日すでに一般化した投手の分業制をいち早く導入し57年には中日をリーグ優勝に導いた。

吉國 一郎
コミッショナーを歴代最多の3期9年努めた
■ 顕彰文
第9代プロ野球コミッショナー。平成元年から歴代最多の3期9年在任し数々の功績を残したが、中でもアマチュア球界との交流復活に尽力した功績は大きく、野球の底辺拡大や国際化をめざしプロアマ合同の全日本野球会議として発足させた。またFA制度を導入し、日米日韓交流を深めるなど球界発展に貢献した。

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