- Date: Thu 27 02 2014
- Category: 野球を語る > 野球殿堂入り 年度別まとめ
- Community: テーマ "プロ野球" ジャンル "スポーツ"
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1990年 野球殿堂
真田 重藏
ノーヒット・ノーラン2度のドロップの達人
■ 顕彰文
海草中学では捕手。のち三塁手で昭和14年夏の甲子園大会に優勝。投手としては15年夏の大会と同年から17年までの神宮大会を制し名投手といわれた。翌年朝日軍に入団。兵役から復帰後も剛速球とドロップは冴え25年に39勝を上げロビンスのセ・リーグ第一回優勝に貢献し沢村賞を獲得。阪神では2度目の無安打無得点試合を達成。後年、明星高校を率いて38年夏の選手権大会優勝を遂げた。

張本 勲
「広角打法」で日本一ヒットメーカーに
■ 顕彰文
幼年期の大火傷で右手に負った不自由を強靭な精神力で克服しプロ野球界の左の大打者となった。浪商時代から天性の素質を見出され 昭和34年東映フライヤーズに入団。同年新人王37年MVPを獲得。広角に放つ打撃で「安打製造機」の異名をとり首位打者7回の最多記録の他、数々の打撃記録をつくった。巨人に4年在籍後55年ロッテに移籍して達成した未曾有の3000本安打は球史に輝く。

佐伯 勇
野球をこよなく愛した近鉄オーナー
■ 顕彰文
三高、東京帝大から昭和2年現近畿日本鉄道株式会社に入社。専務取締役であった24年同社に発足した「プロ野球団設立委員会」委員長に就任。プロ野球は二リーグへと分立し新生近鉄パールス(のちバファローズ)は同年11月太平洋野球連盟に加入した。以来球団経営に腐心し創立30周年を初のリーグ優勝で飾り、球界最長の36年に及ぶオーナー在任中広い視野でプロ野球を支えた。

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ノーヒット・ノーラン2度のドロップの達人
■ 顕彰文
海草中学では捕手。のち三塁手で昭和14年夏の甲子園大会に優勝。投手としては15年夏の大会と同年から17年までの神宮大会を制し名投手といわれた。翌年朝日軍に入団。兵役から復帰後も剛速球とドロップは冴え25年に39勝を上げロビンスのセ・リーグ第一回優勝に貢献し沢村賞を獲得。阪神では2度目の無安打無得点試合を達成。後年、明星高校を率いて38年夏の選手権大会優勝を遂げた。

張本 勲
「広角打法」で日本一ヒットメーカーに
■ 顕彰文
幼年期の大火傷で右手に負った不自由を強靭な精神力で克服しプロ野球界の左の大打者となった。浪商時代から天性の素質を見出され 昭和34年東映フライヤーズに入団。同年新人王37年MVPを獲得。広角に放つ打撃で「安打製造機」の異名をとり首位打者7回の最多記録の他、数々の打撃記録をつくった。巨人に4年在籍後55年ロッテに移籍して達成した未曾有の3000本安打は球史に輝く。

佐伯 勇
野球をこよなく愛した近鉄オーナー
■ 顕彰文
三高、東京帝大から昭和2年現近畿日本鉄道株式会社に入社。専務取締役であった24年同社に発足した「プロ野球団設立委員会」委員長に就任。プロ野球は二リーグへと分立し新生近鉄パールス(のちバファローズ)は同年11月太平洋野球連盟に加入した。以来球団経営に腐心し創立30周年を初のリーグ優勝で飾り、球界最長の36年に及ぶオーナー在任中広い視野でプロ野球を支えた。

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