- Date: Sun 16 02 2014
- Category: 野球を語る > 野球殿堂入り 年度別まとめ
- Community: テーマ "プロ野球" ジャンル "スポーツ"
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1980年 野球殿堂
大下 弘
猛打でファンを酔わせた“青バット”の天才打者
■ 顕彰文
昭和20年秋プロ野球復活と共に新球団セネタースに入り、東西対抗に初出場。たちまち猛打を揮って注目を集めた。翌21年戦前の記録を大きく更新して本塁打王となり、その後も華々しい活躍を続けて、川上哲治と共に大打者としての象徴的存在となった。同27年西鉄に移り、同チーム最盛期の主軸となる。現役引退後は阪急、東映、大洋のコーチ、監督を歴任。また少年野球の育成にも情熱を傾けた。

小鶴 誠
シーズン161打点の日本記録を持つ強打者
■ 顕彰文
昭和17年、プロ野球名古屋軍に加入。強打者として頭角を現わしたが、戦後大いにその真価を発揮した。同24年大映で首位打者を獲得。翌25年松竹に移って51本の日本記録で本塁打王、打点王となり最高殊勲選手に選ばれた。その打撃フォームと強打振りは米大打者ジョー・ディマジオに擬せられ、長らくファンを楽しませた。その後、広島、国鉄、阪神等で活躍。後進の指導に努めた。

千葉 茂
“猛牛”の異名をとった好守巧打の名二塁手
■ 顕彰文
松山商業時代夏の甲子園大会で優勝。昭和13年春巨人軍に入団。爾来二塁手三番打者で健斗し、戦前の同軍黄金時代の主戦力となる。戦後もチームの主軸となって活躍を続け、名二塁手として不動の地位を築いた。終始チーム全体の昂揚を念じ、堅実無比な守備と有効適切の強打によって、長期間にわたり同軍安泰のために大いに貢献した。のち近鉄バファローズの監督をつとめ、引退後野球評論家となる。
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猛打でファンを酔わせた“青バット”の天才打者
■ 顕彰文
昭和20年秋プロ野球復活と共に新球団セネタースに入り、東西対抗に初出場。たちまち猛打を揮って注目を集めた。翌21年戦前の記録を大きく更新して本塁打王となり、その後も華々しい活躍を続けて、川上哲治と共に大打者としての象徴的存在となった。同27年西鉄に移り、同チーム最盛期の主軸となる。現役引退後は阪急、東映、大洋のコーチ、監督を歴任。また少年野球の育成にも情熱を傾けた。

小鶴 誠
シーズン161打点の日本記録を持つ強打者
■ 顕彰文
昭和17年、プロ野球名古屋軍に加入。強打者として頭角を現わしたが、戦後大いにその真価を発揮した。同24年大映で首位打者を獲得。翌25年松竹に移って51本の日本記録で本塁打王、打点王となり最高殊勲選手に選ばれた。その打撃フォームと強打振りは米大打者ジョー・ディマジオに擬せられ、長らくファンを楽しませた。その後、広島、国鉄、阪神等で活躍。後進の指導に努めた。

千葉 茂
“猛牛”の異名をとった好守巧打の名二塁手
■ 顕彰文
松山商業時代夏の甲子園大会で優勝。昭和13年春巨人軍に入団。爾来二塁手三番打者で健斗し、戦前の同軍黄金時代の主戦力となる。戦後もチームの主軸となって活躍を続け、名二塁手として不動の地位を築いた。終始チーム全体の昂揚を念じ、堅実無比な守備と有効適切の強打によって、長期間にわたり同軍安泰のために大いに貢献した。のち近鉄バファローズの監督をつとめ、引退後野球評論家となる。

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