沈黙は金なり

アラフィフサラリーマンの日々徒然日記です。

 
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1970年 野球殿堂

天知 俊一
早慶戦の名審判員だった中日初優勝の指揮官

明大時代名捕手として鳴らし、のち東京六大学専属審判となり、早慶天覧試合を始め数多くの大試合の主審をつとめ名審判とうたわれた。戦後招かれて中日ドラゴンズの監督に就任。勝れた技術指導と情味豊かな統率力で同球団の黄金時代を築き、昭和29年には日本シリーズの制覇を獲得した。





二出川 延明
「俺がルールブックだ」の名言を残した名審判

俊足好打の名外野手として明大、全大阪等で活躍。昭和9年巨人軍結成に加わり渡米。昭和11年日本職業野球連盟結成後、審判員に転向。爾来27年間、名アムパイアとしてプロ野球の発展につくした。その機敏な行動、明快なジャッジは定評があり、数々の逸話とともにファンの人気を集めた。





田村 駒治郎
セ・リーグ初代王者の名物オーナー

田村駒株式会社々長として関西財界第一線に活躍した。スポーツに関心深く、特に野球を熱愛してプロ野球および社会人野球に参画し、私財を投じて、これらを育成した。昭和12年、プロ野球創生期にライオン取締役、昭和16年以降オーナーとして直接球団経営に当り、17年の永きにわたり常に率先してプロ野球発展に貢献した。





直木 松太郎
野球規則を本格的に翻訳出版した研究家

明治43年、アメリカの野球規則を翻訳出版。大正6年、日本最初の本格的な野球規則を完成した。また独自の野球記録法を考案して全国に普及しただけでなく、実戦セオリーを確立して、母校慶応チームにこれを徹底的にたたきこみ、当時来日して無敗を誇ったシカゴ大学に初めて土をつける等野球技の基礎づくりに大きな足跡を残した。






中馬 庚
ベースボールを『野球』と訳した球人

明治27年ベースボールを「野球」と最初に訳した人で、又同30年には野球研究書「野球」を著作。これは単行本で刊行された本邦最初の専門書で、我が国野球界の歴史的文献と言われている。一高時代は名二塁手。大学に進むやコーチ・監督として後輩を指導。明治草創時代の学生野球の育ての親と云われた。
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