沈黙は金なり

アラフィフサラリーマンの日々徒然日記です。

 
7
10
02

【 スポンサーリンク 】

1989年 野球殿堂

島 秀之助
金鯱の名外野手からセ・リーグ審判部長へ

■ 顕彰文
攻守走揃った名外野手として、第一神港商業の黄金期を築き、法政昭和5年秋の初優勝。7年秋の優勝にいずれも盗塁王となり貢献。10年名古屋金鯱の結成に加わり選手兼任の監督となる。13年審判員となり、25年からセ・リーグ初代審判部長。37年まで現役をつとめる。名審判の誉高く55年まで審判部長の任にあり権威の確立に大きな業績を残す。34年6月25日初の天覧試合の球審をつとめた。長く野球規則委員として野球界に尽くす。







野村 克也
実働26年捕手ひと筋戦後初の三冠王

■ 顕彰文
京都峰山高校から南海のテストを受け昭和29年にプロ入りを果たす。捕手で4番の重責を担い、45年からは監督も兼任。巧みなリード あくなき研究心で48年にリーグ優勝を達成。53年にはロッテ、後西武へと移り55年に引退するまで捕手として闘志を燃やし不滅の3017(捕手で2921)試合出場記録を残した。捕手の三冠王、657本塁打(捕手で650)、は米大リーグにもない偉大な記録である。







野口 二郎
延長28回を完投したプロ野球草創期の鉄腕

■ 顕彰文
中京商業の速球投手。昭和12年春の選抜準優勝。夏の大会優勝。翌13年春の選抜優勝は史上初の全4試合完封の快挙で飾る。東京セネタースへ入団の14年。33勝を上げ1塁手でも出場。以後内外野手をかねて33勝、25勝、40勝、25勝と超人的奮闘に”鉄腕”と称される。昭和17年には延長28回を完投。阪急に移って21年31試合連続安打達成。引退後も長年コーチとして活躍を続けた。












池田 恒雄
出版活動を通じて野球界の発展に貢献

■ 顕彰文
昭和6年、早大在学中より雑誌「野球界」の編集に携わり、12年に編集長となる。戦後21年ベースボールマガジン社を設立。出版を通して野球の発展に貢献するとともに、つねにフェアプレー精神をうったえた。後年オリンピック競技種目の出版を手がけ、東欧の各国と友好関係を築いた功により勲三等瑞宝章を授与さる。昭和61年にはソ連へ野球を紹介して新たな国際交流に尽力している。







伊達 正男
米大リーグチームに挑んだ早大の鉄腕投手

■ 顕彰文
市岡中学では春秋各2回甲子園へ出場。早大へ進学の昭和3年春季リーグ戦に捕手5番打者で新人初の首位打者(.469)を獲得。6年春季リーグ早慶戦には投手で出場史上初の3日連投による勝利を遂げ、同年と9年に来日の米大リーグチームをも畏怖せしめ、剛腕投手として名声を博した。卒業後はオール大阪チームに参加、9年都市対抗優勝、甲子園大会の審判員、選考委員、プロ野球阪急のコーチ等を歴任。



【 スポンサーリンク 】


関連記事
プロフィール

うつ中年

Author:うつ中年
野球、iPhone、ラーメン、子育てetc日々の思いを語るブログです。月2万円の小遣いをカミさんから貰わなくてもよくなる日を夢見て立ち上げました。どうぞよろしくお願いします。

他にも運営しているサイト

★雄弁は銀なり★
 
最近書いた記事
Twitter
お客様
ご来場ありがとうございます。
 
 
 
リンク
 
 
 
 
ブログランキング