沈黙は金なり

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1991年 野球殿堂

牧野 茂
高度なチームプレーで近代野球を開花させた

■ 顕彰文
昭和21年高松商業から愛知商業へ転入、同年夏の全国大会に出場。明治大学、中日と二塁手遊撃手などで活躍し、36年から巨人軍のコーチとなる。徹底したチームプレー、新戦法を初めて導入し、近代野球を開花させた。巨人軍による史上唯一の9連覇は氏の功績大と評価される。昭和56年巨人軍コーチに復帰、日本シリーズ優勝の功労者となる。










筒井 修
巨人外野手から3000試合出場第一号審判員

■ 顕彰文
松山商業のショート4番打者で昭和10年夏の全国大会初優勝に貢献。発足直後の巨人軍に入り、第2回アメリカ遠征に参加した。主に二塁手として華麗な守備を見せたが、重なる兵役で左手指を失い戦後は審判員に転向。積極的に審判技術の向上と信頼の獲得に努め、25年目の昭和46年9月2日、阪神-広島戦の三塁塁審で審判員初の3000試合出場を達成した。









島岡 吉郎
情熱と愛情で慕われた明大の名物監督

■ 顕彰文
明治高校を3度甲子園に出場させた後、昭和27年41歳で母校明治大学野球部監督に就任。以来総監督時代を含め37年、学生野球に対する愛情と情熱は衰えを知らず、島岡式人間力野球を結実させた。東京六大学リーグ戦優勝15回、全日本大学野球選手権大会優勝5回、日米大学野球選手権大会優勝2回を残し、素人監督ながら神宮を沸かせる名物監督となった。










中澤 良夫
甲子園大会の基盤をつくった三高OB

■ 顕彰文
一高三高定期戦以前の三高三塁手。明治39年東京帝大卒業、留学を終え九州帝大、京都帝大教授、京都工芸繊維大学学長など歴任。工業無機化学の日本の権威者。その間大正4年には中等学校野球大会誕生に尽くし、第一回から京滋大会委員長を、以後全国大会副委員長・委員長を経て戦後、昭和23年第二代日本高野連会長に就任。広く精神的支柱となって今日隆盛の基盤を作った。







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