- Date: Thu 19 12 2013
- Category: 野球を語る > 江夏豊
- Community: テーマ "プロ野球" ジャンル "スポーツ"
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江夏の21球…実は41球だった
伝説の左腕江夏豊の代名詞と言えばご存知、
江夏の21球!

本になったり、テレビで取り上げられたりと話題には事欠かない伝説なので、ポイントだけ絞って改めて振り返ります。
1979年広島×近鉄の日本シリーズ第7戦
実は私もリアルタイムでは見ていないんです…今思えばとても地味な対決のシリーズだったんですね。
広島古葉監督、近鉄西本監督

名将と言われたお二人の対決。
しかしやはり注目すべきは悲運の名将と呼ばれた故西本幸雄監督ですよね。
8度のリーグ優勝ながら1度も日本一になっていない御方。
この試合は石渡選手へのスクイズのサイン、そして失敗…数々の物議を醸した采配ですが、西本監督は過去にも大毎オリオンズ監督時代にもシリーズでスクイズのサインを出して失敗、シリーズ敗戦を経験しており、なんとも言えぬ因縁を感じますね。
当時近鉄本拠地の日生球場は収容人員不足、藤井寺はナイター設備無しの為、南海本拠地大阪球場で開催
2013年の楽天イーグルスも球場の収容人員不足が話題になりました…楽天イーグルスの前身は近鉄バッファローズというところも何か因縁を感じます。
広島、近鉄とも勝てば球団創設初の日本一
広島カープは赤ヘル軍団の全盛期を迎えこの年と翌年はシリーズ2連覇。1984年にもシリーズ優勝を成し遂げております。
かたや近鉄バッファローズはこの後、あの1989年、「巨人打線はロッテより弱い!」事件で、シリーズ3連勝から4連敗。結局、一度も日本一を経験することなく球団は無くなってしまいました。
6戦目までホームチームが全て勝利
典型的な内弁慶シリーズだったんですね。それだけに第7戦は本拠地ではないとはいえ地元大阪球場の近鉄有利だったのです。
7戦目は小雨の降る大阪球場
当時日本シリーズ第7戦は引き分け無のルール。
審判は9回の攻防が終わったら雨天中止を考えていたと後に語っております。
江夏の21球…実はこの日は41球投げている!
実はこの試合、江夏はカープの三番手として七回裏二死一塁の場面でマウンドに上がっているのです。
実際江夏がこの試合で投げたのは「21球」ではなく、
2回1/3で41球なんです!
江夏の21球とは9回裏に投げた球数で、後に故山際淳二さんが書いた著書が元になっているのです。
結構ここは誤解して覚えてる方も多いのではないでしょうか。
現代の抑え投手は9回の1イニング限定というのが定着しておりますが、当時はなんでもありでしたからね。
7回からの登板や、同点でも登板なんて当たり前だったんです。
試合終盤ではイニングに関わらず抑えの切り札をつぎ込むことは当然でありました。
当時の江夏投手は全盛期を過ぎていた
この時江夏投手は31歳。
かつて阪神時代は剛腕と言われた投手ですが、この頃は球速も130キロ台がほとんどで、主にコントロールを重視して投球術で打ち取るタイプになっていたのです。
9回裏4-3とリードするもノーアウト満塁の大ピンチ!
さてここから伝説の名場面が始まるわけなんですけどね…

振り返ってみると様々な背景や伏線があっての伝説と相成ったわけなんですね。
話せばキリが無い程の様々なドラマがあったこの伝説。
今日のところはここまでとさせて頂きます。
それではまた!
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江夏の21球!

本になったり、テレビで取り上げられたりと話題には事欠かない伝説なので、ポイントだけ絞って改めて振り返ります。
1979年広島×近鉄の日本シリーズ第7戦
実は私もリアルタイムでは見ていないんです…今思えばとても地味な対決のシリーズだったんですね。
広島古葉監督、近鉄西本監督

名将と言われたお二人の対決。
しかしやはり注目すべきは悲運の名将と呼ばれた故西本幸雄監督ですよね。
8度のリーグ優勝ながら1度も日本一になっていない御方。
この試合は石渡選手へのスクイズのサイン、そして失敗…数々の物議を醸した采配ですが、西本監督は過去にも大毎オリオンズ監督時代にもシリーズでスクイズのサインを出して失敗、シリーズ敗戦を経験しており、なんとも言えぬ因縁を感じますね。
当時近鉄本拠地の日生球場は収容人員不足、藤井寺はナイター設備無しの為、南海本拠地大阪球場で開催
2013年の楽天イーグルスも球場の収容人員不足が話題になりました…楽天イーグルスの前身は近鉄バッファローズというところも何か因縁を感じます。
広島、近鉄とも勝てば球団創設初の日本一
広島カープは赤ヘル軍団の全盛期を迎えこの年と翌年はシリーズ2連覇。1984年にもシリーズ優勝を成し遂げております。
かたや近鉄バッファローズはこの後、あの1989年、「巨人打線はロッテより弱い!」事件で、シリーズ3連勝から4連敗。結局、一度も日本一を経験することなく球団は無くなってしまいました。
6戦目までホームチームが全て勝利
典型的な内弁慶シリーズだったんですね。それだけに第7戦は本拠地ではないとはいえ地元大阪球場の近鉄有利だったのです。
7戦目は小雨の降る大阪球場
当時日本シリーズ第7戦は引き分け無のルール。
審判は9回の攻防が終わったら雨天中止を考えていたと後に語っております。
江夏の21球…実はこの日は41球投げている!
実はこの試合、江夏はカープの三番手として七回裏二死一塁の場面でマウンドに上がっているのです。
実際江夏がこの試合で投げたのは「21球」ではなく、
2回1/3で41球なんです!
江夏の21球とは9回裏に投げた球数で、後に故山際淳二さんが書いた著書が元になっているのです。
結構ここは誤解して覚えてる方も多いのではないでしょうか。
現代の抑え投手は9回の1イニング限定というのが定着しておりますが、当時はなんでもありでしたからね。
7回からの登板や、同点でも登板なんて当たり前だったんです。
試合終盤ではイニングに関わらず抑えの切り札をつぎ込むことは当然でありました。
当時の江夏投手は全盛期を過ぎていた
この時江夏投手は31歳。
かつて阪神時代は剛腕と言われた投手ですが、この頃は球速も130キロ台がほとんどで、主にコントロールを重視して投球術で打ち取るタイプになっていたのです。
9回裏4-3とリードするもノーアウト満塁の大ピンチ!
さてここから伝説の名場面が始まるわけなんですけどね…

振り返ってみると様々な背景や伏線があっての伝説と相成ったわけなんですね。
話せばキリが無い程の様々なドラマがあったこの伝説。
今日のところはここまでとさせて頂きます。
それではまた!
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